がんばれ!映画『ヤルク・フィキル』

東京在住のエチオピア人青年がメガフォンをとった!
昭和初期の華族令嬢とエチオピア王子の世紀の婚約話が映画に!
初の日本製アフリカ映画の完成を目指して応援するブログ

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雅子嬢×アラヤ氏の婚約話

黒田雅子嬢

 『ヤルク・フィキル』の元になった、黒田雅子嬢とアラヤ・アベバ氏の婚約話とはいったいいかなるものか!?詳細はもちろん映画でご覧になっていただくとして、簡単に概要だけお伝えしておこう。

時は大正の香りがまだ残る昭和のはじめ、遠く離れた日本とエチオピアの外交関係がはじまろうとしていた。

1930(昭和5)年、エチオピアのハイレ・セラシエが皇帝に即位し、アディス・アベバでは盛大な戴冠式が行われた。各国から祝いの使者が駆けつけたが、日本からは駐トルコ大使がアディスへ向かった。ハイレ・セラシエ皇帝は日本の戴冠式参列を喜び、答礼訪問として、1931(昭和6)年、はエチオピア使節団を日本へ派遣した。

エチオピア外務次官ベラチン・ギエタ・ヘルイに率いられた使節団の一行にはハイレ・セラシエの血筋に連なる貴族の一人、アラヤ・アベバも入っていた。アラヤは身分の高い貴族にありがちな傲慢さをみじんも持ち合わせず、誠実な人柄で皇帝から寵愛され、宮廷の重要人物の一人であった。

一行の訪問は日本各地で大歓迎を受け、エチオピア側は日本文化に大変感銘を受けたとのことで、アラヤ王子に日本から妃を迎えようたいと申し出る。この申し出を受けて日本では新聞で全国に公募がかけられ、数々の応募者から、千葉久留里藩藩主の家系である黒田子爵令嬢の雅子嬢に白羽の矢が立った。

エチオピア皇室と日本の華族の世紀の婚約は、日本全国を湧かせる大ニュースとなった。英語に長け、開明的な考えの持ち主であった雅子は、まだ見ぬ夫やエチオピアを夢見つつ、嫁ぐ日を指折り数えていた。しかし、エチオピアや日本をめぐる国際情勢は、この婚姻による日本とエチオピアの関係強化を恐れ、若い二人の門出に暗雲が立ちこめる。

詳しくは山田一廣著『マスカルの花嫁―幻のエチオピア王子妃』をどうぞ!

記:吉田未穂









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