がんばれ!映画『ヤルク・フィキル』

東京在住のエチオピア人青年がメガフォンをとった!
昭和初期の華族令嬢とエチオピア王子の世紀の婚約話が映画に!
初の日本製アフリカ映画の完成を目指して応援するブログ

【番外】アムハラ語で震災ニュース発信!


チーム・ヤルクフィキルによる震災・原発ニュースNo.2

No.1はこちら→

日本が、世界が驚愕した3月11日の東日本大震災、そして続く原発事故。あれから3ヶ月、最近、ようやく少しずつではあるが、震災で途切れてしまったもろもろを元の軌道にのせるべく、細々と活動を開始した。

今日はまずは空白の3ヶ月を埋めるべく、3月の震災後にチーム・ヤルクフィキル(Dawit&Daniel)がやってきた活動を紹介したい。

3月11日の地震後、彼らと安否を確認しあったのはFacebook上だった。電話がつながらない状況の中、インターネットを通じて家の被害状況や友人の安否を確認し合えたのは本当に心強かった。

Dawitさん、Danielさんも地震でお家に多少の損傷があったけれども無事でひとまずは安心。しかし、続く余震や原発事故には日本人のみならず、在日アフリカコミュニティも震撼した。とにかく情報がない。日本人でさえまともな情報を求めて右往左往する中、言語バリアのある外国人にとっての恐怖は想像に難くない。

そんな時に二人から届いた一本のYoutube上のビデオ。たしか震災後数日のことだった。なんとアムハラ語で地震や津波、原発事故をニュースにしたものだ(私はアムハラ語はチンプンカンプンですが)。撮影場所は自宅の片隅ながら、Danielさんがアンカー役でニュースを読み、電話インタビューやもろもろの解説もいれた実用的なもの。

解説するのは東大国際環境経済学の博士課程に在籍するShawel Betruさん。専門は原子力や地震研究ではないが、在日エチオピア人にとって、眼前でおこっていることをアムハラ語で解説してくれるのは非常に有益だろう。

これを送ってもらった時は、原発事故の最中で毎日情報を追いながら一喜一憂するかたわら、二人の素早い動きに驚いた。と、数日後にはニュースNo.2が。しかも進化している!Danielさんはジャケット着用でますますらしくなり、イントロもニュースっぽさが増している。2回目のニュースは放射性物質関連情報らしい。

地震や特に原発に関する情報をエチオピア人社会で共有することが緊急に必要でニュースはとても役に立ったとのこと。

・・・にしても、よくあの混乱していた時期にサクサクとこんなものを作ったねと感心すると、Dawitは「いやぁ、実は、あの頃は仕事も自宅待機になってしまって、もう時間を持て余してさ〜」と。むむむ、修羅場を踏んだ数が違うのか、なかなかタフなやつである。

記:吉田未穂


ニュースより



その他 00:22 -
Daniel Nigatuって誰?

『ヤルク・フィキル』より

ダウィットさんとともに『ヤルク・フィキル』を製作しているのが、ダニエル・ニガツさん。エチオピアでは俳優として活動し、数々のドラマ・映画に出演している。

『ヤルク・フィキル』では、アラヤ王子役として渋い演技を披露。堂々たる王子ぶりで気品すら漂わせる。ふだんのユーモアたっぷりのキャラからは想像できない変身ぶりに俳優魂を見た!最近の流行り(!?)は、日本の演歌をマスターすること。この間は、エチオピアンパーティでフランク永井の「有楽町で逢いましょう」を熱唱。"あなたのわたしの合言葉〜♪”
これがまた上手いんだな・・・多芸な人はどこでも多芸なのだとあらためて納得。打倒!ジェロ!でそっち方面でデビューしてもいいんじゃないでしょうか!?

ダニエルさんは1980年エチオピア・アディス・アベバ生まれ。子どものころからアートが好きで、特にドラマや演劇が大好きだった。小・中学校時代に、演技をすることに深く関わるようになった。学校の課外活動を通じて経験を積み、様々なプロの俳優たちに出会い、彼らに触発され、また励まされて、卒業後も俳優としてのキャリアを続けることになった。 1998年にエチオピア国立劇場での“Eve of the Weddingでプロの俳優としてデビュー。劇場での俳優の経験を活かし50以上のTVのメロドラマに出演。また15以上のラジオ番組をプロデュースしたり、声優として出演。エチオピアで上映・配給される長編映画に多数出演している。


エチオピアで携わった主な映像作品

“Hell” (Siol), Tedy Studios;

“The Eagle” (Nisir), Isag Studios; 

“I Should Die” (Simot Endimechegn), Ethio Wood Film Production;

“The Interminable” (Yemayalikew Menged), Promas Entertainment;

`let us play`  Enichewawot comedy , Sima Studio and

“The Notebook” (Mahider), Wabi Film Production.


『ヤルク・フィキル』のワンシーン


同上


あなたを待てば雨が降る〜♪ フランク永井熱唱中



Dawit&Daniel 01:32 -
Dawitよりみなさまへ



みなさま

 

私は3年間ぐらい日本で住んでいます。日本人はやさしくて優しい人です。私は日本の古い歴史と文化はほんとうに面白いね!私の次の映画はエチオピアと日本の実話に基づいています。ヤルキフィクル映画のために、私たちが一緒に仕事をできたら幸せだと思います。

 

ダウィット

 

Dear followers/readers,

 

From my 3 years life experience here, I have learnt several things from Japanese society, such as kindness and respectfulness. Japan is one of the old historical countries with diversified cultural heritages. I am very impressed with Japanese life style. My internal desire to promote such great historical and cultural heritages by filming my next film production.

 

Yeruk Fikir (“long distance love” in Amharic language) film is based on a true story at the historical moment when Japan and Ethiopia began the official relationship. The story revolves around Japan and Ethiopia at the eve of the Second World War and the famous marriage alliance between Ethiopian prince Araya Abebe and Kuroda Masako, a lady from a Japanese noble family.

 

To achieve YERUK FIKIR (long distance Love) film, we need your right hand support. We invite you to participate in this film that has such great historical background between Japan and Ethiopia.

 

Dawit

2D Entertainment

http://ddenter.webs.com/


Dawit&Daniel 18:30 -
翻訳合宿 完

気合いで42ページ完了!

資料翻訳を気軽に引き受けたものの、250ページという書籍の厚さにおののいて一月が経ってしまった。全訳するわけではなく、事実関係やエピソードを伝える翻訳なのだが、ちまちまやったがなかなかすすまない苦闘は前回書いた通り。これではいかん!と一念発起して、シネマアフリカのスタッフ3人が休日を返上し、一気呵成に翻訳を仕上げてしまえと集った。

10時に開始し、数回のお茶とご飯をはさみつつ終電前には無事に最終頁までたどりついた。3人といえど、私以外の2人はプロの翻訳者。さすが話が早い。雪の降る静かな休日に、カタカタカタカタ、心地よいタイプ音が響き、翻訳がさくさくと進んでゆく・・・はずだったが、やはり時代もの。大正から昭和の国内情勢が色濃く影響している話で、"ツラン運動"やら何やら”新出単語”が次から次へと。”日エ同胞論”なんてのは、もはや訳すというより説明するしかないのであった。

どうにかこうにかできあがった英文はA4にして42ページ。ふぅ。あとは、これをDawit&Danielさんたちが読み込んで、エチオピア側からのリサーチと合わせて彼らが構想を練っていく計画。私たちは、資料への質問やさらなる翻訳に備えて待機!

記:吉田未穂

パート2への道! 17:09 -
資料翻訳を始めてみた!

次回ヤルクフィキルの”素” 資料翻訳がんばり中

 さて、11月の上映後、観客やシネマアフリカのスタッフからはさまざまなアドバイスが噴出した。なかでも多かったのは、「婚約話のディテールをもっと語ってくれ」というもの。第1作では、昭和初期の婚約話と、現代の日本エチオピア交流の話が並行して語られているので、婚約話が駆け足で語られている。これはもったいない、かなりもったいない

Dawitさんたちも「ここをもっとつっこんで語りたい。そのために、エチオピア側から取材を進めているが、日本側の資料はなかなか読めない」と。簡単な漢字くらいまでは読めるけれども、そりゃあ、本一冊、しかも昭和初期が題材のものを読むのは辛かろう…。平たい文にまじって突然「各国特派使節本邦へ派遣関係雑件 エティオピア国ノ部」なんてでてくるし、そりゃ無理だ(今は)。


将来的には自分で読めるようになってねと檄を飛ばしつつ、とりあえずは、この話を語る上では聖典ともいえる『マスカルの花嫁』をみんなで手分けして訳すことにした。が、これがやってみると、まず大変、なんたって本一冊分。しかし、一番大変なのは、読み出すと面白すぎて、翻訳がなかなか進まない。

たとえばジブチからの船旅を訳していたら船の名前がでてきた。日本語表記を確認すべくググっていたら、本物の写真が!おお、でかい、そして渋い写真・・・そしてあちこち調べだし翻訳に戻ってくるのは1時間後。そして神戸で泊まったホテルはまだあって、古い写真が…(以下同文)。

だが、なんだかんだで3章まで進み、今は、監督たちが英訳された『マスカル』を堪能中。

しかし、このペースでは映画完成が何時になることかわからず、今度は翻訳スタッフがみんなで集まり一日缶詰合宿で一冊丸ごと片付けよう!と相成った。これはなかなか良いアイデアである!(たぶん) 合宿の結果は次回。

記:吉田未穂

パート2への道! 00:27 -
雅子嬢×アラヤ氏の婚約話

黒田雅子嬢

 『ヤルク・フィキル』の元になった、黒田雅子嬢とアラヤ・アベバ氏の婚約話とはいったいいかなるものか!?詳細はもちろん映画でご覧になっていただくとして、簡単に概要だけお伝えしておこう。

時は大正の香りがまだ残る昭和のはじめ、遠く離れた日本とエチオピアの外交関係がはじまろうとしていた。

1930(昭和5)年、エチオピアのハイレ・セラシエが皇帝に即位し、アディス・アベバでは盛大な戴冠式が行われた。各国から祝いの使者が駆けつけたが、日本からは駐トルコ大使がアディスへ向かった。ハイレ・セラシエ皇帝は日本の戴冠式参列を喜び、答礼訪問として、1931(昭和6)年、はエチオピア使節団を日本へ派遣した。

エチオピア外務次官ベラチン・ギエタ・ヘルイに率いられた使節団の一行にはハイレ・セラシエの血筋に連なる貴族の一人、アラヤ・アベバも入っていた。アラヤは身分の高い貴族にありがちな傲慢さをみじんも持ち合わせず、誠実な人柄で皇帝から寵愛され、宮廷の重要人物の一人であった。

一行の訪問は日本各地で大歓迎を受け、エチオピア側は日本文化に大変感銘を受けたとのことで、アラヤ王子に日本から妃を迎えようたいと申し出る。この申し出を受けて日本では新聞で全国に公募がかけられ、数々の応募者から、千葉久留里藩藩主の家系である黒田子爵令嬢の雅子嬢に白羽の矢が立った。

エチオピア皇室と日本の華族の世紀の婚約は、日本全国を湧かせる大ニュースとなった。英語に長け、開明的な考えの持ち主であった雅子は、まだ見ぬ夫やエチオピアを夢見つつ、嫁ぐ日を指折り数えていた。しかし、エチオピアや日本をめぐる国際情勢は、この婚姻による日本とエチオピアの関係強化を恐れ、若い二人の門出に暗雲が立ちこめる。

詳しくは山田一廣著『マスカルの花嫁―幻のエチオピア王子妃』をどうぞ!

記:吉田未穂









はじめに 22:39 -
Dawit Girmaって誰?

@シネマアフリカ映画祭オープニングナイト

『ヤルク・フィキル』の監督をつとめるのはダウィット・ギルマ(
Dawit Girma/写真左)さん。親友であり、エチオピアでの仕事仲間でもあったダニエル・ニガツ(Daniel Nigatu/同右)さんと二人で映画製作している。ちなみにDanielさんはAraya王子役の主演俳優。東京では二人のDをとって、2D Production”というプロダクションを立ち上げた。

Dawitさんは、1979年エチオピアのBale Gobaに生まれ。母語はアムハラ語で、英語、日本語も使用。高校卒業後、97年からアディス・アベバのNew Vision Art Instituteで映画製作について2年間のディプロマコースで学ぶ。2000年にアディス・アベバ大学理学部に入学し統計学を専攻。2004年卒業。在学時にGlobal Art Productionを立ち上げ、ドキュメンタリーやテレビドラマ、コマーシャル、ミュージッククリップなどを製作。撮影、編集、監督、プロデューサーなどとしてこれらの製作に携わる。2004年から05年にかけて、アディス・アベバのKam Video and Photography Instituteにて、編集とグラフィックデザインの講師も務める。

2008年に来日し、現在は東京・葛飾区に住む。日中は生活のための仕事をしつつ、自宅に小さなスタジオを作り、映像製作を続けている。在日アフリカ人たちをクライアントとする撮影やDVD作成の仕事が軌道にのってきて忙しい日々を送っている。旅行やスポーツが好き。陸上も趣味のひとつで、2010年には東京マラソンに出場。初挑戦ながら42.195kmを完走した。

エチオピアで携わった主な映像作品
HIV/AIDS啓発テレビドラマAshara(2003)での編集、伝記ドキュメンタリーAbebech Gobena(2004)での脚本・撮影・編集に参加。1970年代エチオピアの社会状況を描いた長編映画Mahiderではプロダクションマネージャー、編集、アシスタントディレクターを務める。ドイツ系NGOのLeprosyの50周年ドキュメンタリー(2006)では撮影・ディレクターをつとめる。家族問題についてのドキュメンタリー(2006)では撮影・ディレクターとして参加し、アディス・アベバ・フィルムアワードにて最優秀撮影賞を受賞



アディス・アベバ・フィルムアワードにて最優秀撮影賞受賞


撮影@エチオピア


2010年東京マラソン 完走!
(映画とは関係ありません。念のため)

Dawit&Daniel 17:56 -
いま手伝ってほしいこと
2011年1月、 『ヤルク・フィキル』現在の状況
長編化にむけて史実のリサーチ、脚本再構成中

もちろん、監督のDawitさん、そしてパートナーのDanielさんが自分たちでなんとかしようと奮闘中です。たくさんの在京エチオピアンたちも応援して手伝っています。ただ、できることに限りがあることも事実。もしこの映画プロジェクトに興味をもってくれて、かつ何かいっしょにしたい!と思ってくれた方、どうぞお力の一端を貸してください!
いっしょに『ヤルク・フィキル』を作っていきましょう!

現在、そして近い将来必要になる助けはこんなものがあります。
なにかできそうかな、やってみたい、関心があるぞという人は下記までどうぞ連絡をください。

<ひとのお力を借りたいもの>
・翻訳ヘルプ   おもに日→英翻訳のテキスト(文字)の翻訳です
・リサーチヘルプ 調べもの好きな人、当時の時代風俗やら何やらいろいろ
・ロケスタッフ  雑務スタッフからドライバーなどなど
・衣装      着付けができる方!ロケに同行できる方なお歓迎
・エキストラ   文字通りエキストラ

<物品のお助けを借りたいもの>
・照明機材    簡易なものでもOK
・車       ロケに一緒に行ってくれる方&車 大歓迎
・着物      黒田雅子役用の着物など
・ロケ用お家   昭和のレトロな日本家屋の一室が拝借できれば

連絡先:ddinterentertainment@gmail.com (日本語でも英語でも)

記:吉田未穂
こんな助けが必要です! 00:00 -
映画祭での上映無事終了!

当日会場。この後も人がわらわらと増え続けほぼ満席に。


鑑賞後の観客にNHKのインタビュー

『ヤルク・フィキル』のシネマアフリカ2010での上映が無事に終了。

30分の短編映画として一応の完成をみた『ヤルクフィキル 遠距離恋愛』を日本製アフリカ映画応援企画として上映。将来的には、さらに史実のリサーチを進め、長編化する予定のため、作品最後にはto be continuedと表示されている。

ケニア映画『さよならを言いたくて』の上映前に、『ヤルクフィキル』を上映し、その後Dawitさんによるトーク、そして『さよなら〜』上映というプログラム。
日曜の朝一、10:30開始という厳しいスケジュールながら、予想を超えて130名を越える観客が集まり、この日は、NHKの取材が入ったこともあって、会場は朝一とは思えない活気に包まれた。

何ともすごかったのは、100名近いエチオピア人が映画を観に会場に集結したこと。本当に彼らのネットワークと団結力には驚きである。朝方、打ち合わせのためにフィルムセンター近くのカフェに向かったのだが、小さなカフェはさながらエチオピアンに占拠された体で、あの瞬間、日本中のエチオピア人口の半分があの店の中にいたのではないかと思われる!

おかげで会場も不思議な、そして暖かいムードに包まれ、普通に見に来ていたお客さんも驚きつつ、アフリカの映画館にいるような雰囲気を楽しんでいたようだ。映画の反応はまずまず。日本の描き方にのけぞる人はやはり続出したが、昭和初期という遙か昔にエチオピア王族と日本の華族令嬢の間にあった婚約ストーリーという史実を初めて知る人も多く、興味深く観てもらったことがアンケートから伝わってくる。

上映後には、少なからぬ観客がDawitさんに感想や批判を伝えるために残ってくれ、映画の内容について、日本での映画作りについてなど、熱く語りあっており、その側から、エチオピアンたちが次々と「おめでとうっ」「よくやった!」と握手を求めておとずれ、そこに観客インタビューを撮影する取材班が加わったため、会場出入り口は、人と機材でごった返しものすごい様相に!

何はともあれ、無事終了に乾杯!

記:吉田未穂


フィルムセンター前にて 集まったエチオピアの観客たち


上映後のトークにてDawitさん

はじめに 14:48 -
ヤルク・フィキルとの出会い


シネマアフリカのミッションは、”アフリカ発のアフリカ映画”を日本へ紹介すること。そのためはるばる1万数千キロを行き来している訳だが、ふと気がつけば、身の回りにもアフリカ映画が生まれつつあることに気付き驚いた。

事の発端は、去年の初夏、在京のアフリカの友人たちに映画の紹介をお願いしていたところ、連絡を受けて会ったのがDawitさん。エチオピア映画の最近の状況を教えてもらうべく原宿でお茶をしたのだが、話を聞くうちに、自分で東京でも映画を撮っているという。

そして映画のテーマがなんと日本の華族令嬢とエチオピア王子の婚約話であるというではないか!アフリカ関係者の間では有名なこの話、これを映像化するならば、それはもう見なくてはなるまい!と思い、映画祭の準備を放り出して、まだ製作途中のものを見せてもらいに行った。

今だから告白するが、当初は、静止画像を多用したyoutubeによくあるようなビデオを予想していた(すみません...)。が、見せてもらったのは、再現ドラマなどが入った本格的なもので驚いた。確かに、構成には粗さがあるし日本文化への大いなる誤解も散見される。が、王子役の演技はプロ並みだし(←後にホントにプロと判明)、何か粗削りながら得体の知れないエネルギーを感じる作品だ。

「何かスゴいものを見てしまった」と思い、急遽、『ヤルク・フィキル』と一緒に何かできることはないかと考えはじめた。結局、映画祭のエントリー作品としてはまだ時期尚早なため、応援企画枠として上映をすることに決めた。芽生えつつある東京発のアフリカ映画をシェアし、観客から叱咤激励してもらうことが次の一歩につながるのではないかと考えた。

アフリカ映画が抱える問題の一つに、発表の機会がないということがある。作品は、観客に観てもらい、好評であれ批判であれ、反応を得てはじめて成長していく。その循環が成り立たない限り、アフリカ映画の未来は厳しい。弱小シネマアフリカは何の金銭的サポートもできないが、上映という機会の提供ならばできるし、それこそ映画祭の使命だろうとも思う。

聞けばDawitさんは、母国ではトップレベルの大学を卒業し、映像制作で生計を立てていたが、事情により日本へ来ることになったという。専門職ではない移民としての生活がどういうものかは想像に難くない。長い間、単純労働に就いてきたという。「母国では皿洗いも工場労働もやったことなかった!初めての体験だらけでビックリさ!」と明るく笑いながら話すが、どうしても『アフリカ・パラダイス』の世界を思い出さずにはいられない。

が、当人からは恨み節は全く聞いたことがない。ネガティブなことを言い出したらきりがない、と言う。そして、雅子嬢とアラヤ王子の話に惹かれたのは、日本とエチオピアのポジティブな側面を描いているからだという。「日本とエチオピアの両国でぼくは闇を見た。だからこそ、二つの国の光を描きたかった」という言葉が胸に刺さる。

学生時代から日本とアフリカを行き来して十数年、一人の人間の狭い範囲の体験ながら、私も数々の負の側面を見てきた。それでも光を描くことに焦がれる一人の青年の夢に、シネマアフリカもひと肌脱いでみようと思う

記:吉田未穂

はじめに 00:57 -
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